#02

2024.12.02

脚本家・黒田洋介氏にインタビュー(2/4)「杉田との出会い」編

YouTubeではなかなか言えないアレコレを、杉田智和が興味を持った人に、興味の限り聞きつくす。AGRSが贈るオリジナルインタビュー企画「AGRSが聞く」。

第2回のゲストは、古くから杉田と交流のある脚本家・黒田洋介さん。作り上げてきた作品と、ものづくりの哲学について全4編にわたってお届けします。

杉田との出会いと、その後の交流

互いの第一印象はいかがでしたか?

杉田

とても熱い人だと思いました。最初にお会いしたのは『おねがい☆ティーチャー(以下、おねティ)』でしたね。

黒田

そうですね。杉田くんの声がすごく渋くて良かったから、先生役に推薦したのを覚えてます。この声なら学生役より先生役だろうって挙げたら、まさかキャスト内最年少だったという(笑)。

杉田

キャスティングは黒田さんが決められていたんですか。

黒田

『おねティ』のキャスティングは、色々と口を出させてもらいました。書いてる時点で、主役は保志くん(保志総一朗さん)だって決め打ちしてましたし、漂介役を岩田さん(岩田光央さん)にお願いしたいと、オーディション前から言ったりしていました。

あの企画自体が“泣きゲー”と美少女アニメの融合というか、ゲームとアニメの中間のようなものを目指したものだったので、それを実現できる座組を目指しました。ゲームのファンも、アニメのファンも納得できる布陣を敷かなきゃいけないということで、ヒロインは井上喜久子さん。そして、主役は当時飛ぶ鳥を落とす勢いの保志さんに任せた、と。

杉田

自分が音響制作の手伝いでオーディションに参加したとき、、当時のことを思い出しました。現場で作品を良くするために頑張っていた、黒田さんはじめ多くのスタッフの姿勢を間近に見られたのは、自分としても大きな体験だったと思います。

黒田

『おねティ』の現場は部活みたいなノリでしたね。半分はビジネスじゃなかった。ビジネスはやるんだけど、文化祭の発表をやるために徹夜で準備してるみたいな、妙なテンションと勢いがあった感じがしますね。

当時の距離感が分かるエピソードなどはありますか?

杉田

「木崎湖にロケハンに行くから杉田くんも来る?」って言われて、ついていったことがありました。そしたら、木崎湖のレストランの店員さんが「みんなも『おねティ』が好きで見に来たの?」と話しかけてくれたんですよ。で、黒田さんが「作ってる方です!」って。

黒田

ありましたねぇ~。

杉田

そして、打ち上げ旅行の旅館の予約名が「ティーチャー御一行様」。

黒田

全員先生かよってね(笑)。

杉田

そんな感じで笑い合うくらい、距離は近かったです。黒田さんは話す内容も面白いから、それが自分の感性に対するフィードバックになってました。僕の中で、その頃に培われたものは多いと思います。

黒田

僕もまだ30代になりたてくらいの頃で、役者さんとも距離感が近かった。だから、役者さんから「こういうのやりたい」って言われたら、そのまんまラジオドラマで採用したり、それを僕が書いたりしてました。

これが原作モノだったら勝手なことはできませんが、『おねティ』はオリジナル作品ですし、いわゆる“トップ”みたいな人が存在しない現場でしたから。せっかくなら、役者さんにも参加してほしいと思ったんです。

杉田

特定の誰かに依存した企画ではなかったと。

黒田

みんなで作り、みんなで楽しみ、みんなで儲ける、オープンな感じを目指してたんですよ。そこに杉田くんが乗っかってくれたんですよね。ラジオドラマの脚本を出してくれたのは、まさに杉田くんだし(笑)。

杉田

出しました! ……今思えば、よく受け入れてもらえたものだと思います。

黒田

僕はテキトーに脚本家になった人間だから、杉田くんがいきなり脚本家になっても別になーんも気にしません。「こいつ役者のクセに!」とかまったく思うこともなく、やりたければやるといい。言うことはただひとつ「日本語として通じるものを」です。

杉田

うわぁ、記憶が蘇ってきた。当時も言われましたそれ!

黒田

それ以外のオーダーはない、ってね。ラジオドラマだったので、音で聞きにくい部分はチョコチョコっと、技術的な修正はさせてもらいましたけど、ほぼそのまんまオンエアしました。

杉田

「すごい、こんなことしていいんだ!」という、驚きがありました。

黒田

ぶっちゃけて言うと、当時は「誰か手伝ってくれ!」という気持ちもありました。だって、最終的に100本もラジオドラマ書きましたからね。ラスト30本くらいの時に音を上げて、ノベライズを担当してくれた雑破業さんほか皆さんにお願いしていた回もあります(笑)。

杉田

正直言って、僕の提出した脚本には稚拙な部分も多かったと思います。それを否定せず、寄り添いながら戦ってくれたのが、僕は本当に嬉しかったんです。あのアツいエネルギーのおかげで、今の僕があるといっても過言じゃない。

黒田

脚本として絶対にやるべきことは存在するし、当時の杉田くんはそれをブッちぎってたけど、読むとちゃんと面白いから、それは問題ないんです。

脚本というのは、書いて、発表して、お客さんが満足して初めて作品になるんです。それさえ満たしていれば、セオリーなんてのは重要じゃありません。杉田くんは食らいついてきてくれたし、対応していても楽しかったですよ。

杉田

そう言ってもらえると嬉しいです。

黒田

作品の雰囲気と同じように、制作側も「楽しく作ってますよ」と伝えたかった、という気持ちもありました。脚本に“杉田智和”という名前が入ってたら面白いし、お客さんにも「このチームは仲が良さそうだな」と伝わるじゃないですか。それが、作品のホンワカしたイメージとフィットすればいいかなって。

杉田

単に作るだけじゃなくて、お客さんがどう感じるかまで含めて1つの作品だ、というのは黒田さんから学んだことですね。

黒田

そう。より良い作品にするのは当然として、見せ方や値段まで含めて、お客さんが一番楽しめる形で届けなきゃいけない。みんなが満足して、売れて、評価を受けるから次の仕事をいただける。

脚本を書くのは、農業のようなものです。植えて、作って、刈り取って、食べてもらって、はじめて次の生産計画が立てられる。お客さんに届くまでの全体像が計画に入ってないと、いつか破綻するでしょう。

杉田

赤ペン先生ならぬ黒ペン先生に泣きながら叱られて、あれがあったから今の僕があるんです。親以上にこんな言ってくれる人はいないぞと。

黒田

ごめんね、絶対それ酔っ払ってた(笑)。

杉田

酔っ払った黒田さんからは名言が出るし、それが僕にとっては大事なものになるんですよ。「コンテンツを悪くするものを駆逐するんだ!」って『進撃の巨人』より先に黒田さんが言ってたな、とか。

黒田

うわーそれは覚えてる!(苦笑)

プロデューサー的な気質、商売の発想

杉田

黒田さんの話を聞いてると、プロデューサーに近い視野の広さを感じます。単に作品を作るだけじゃないって考え方は、脚本家以外の豊富な経験から来ているのかもしれませんね。

黒田

東京に越してきたとき、CDショップで客商売をやってたのが一番大きかったと思いますね。アニメや映画関連の商品は僕が仕入れやってたんで、当時から「どのくらいの数を注文すれば無理なくハケるのか」はずっと考えてました。

それこそ『美少女戦士セーラームーン(以下、セーラームーン)』とかやり始めたときは、俺だけ「これは絶対来る!」なんて言いながら沢山発注したり、『新世紀エヴァンゲリオン(以下、エヴァ)』もオカンに「このレーザーディスクは5枚ずつ仕入れても絶対売れる!」と言った記憶があります。結果「ここは『エヴァ』が途切れない店」っつって結構評判になったんです。そこらへんも役に立ってるのかもしれない。

杉田

お客さんもまた随分と濃いなぁ。もしかして、プロモデラーの人とか、関わりがある人が来てたりしたんですか?

黒田

それもあったけど、立地的な良さは確かにあったかな。当時のウチ(CDショップ)は、東京都の大田区蒲田って京急蒲田とJR蒲田をつなぐ商店街の一角にあったんです。蒲田から羽田空港線に行くとセガがあって、当時はJR蒲田の方面にはナムコの本社があり、JRをちょっと超えると日本電子工学院という専門学校があって、さらに蒲田から品川方面に行くと任天堂の工場があったんです。その人たちが、ブワーッと店に来るわけです。もっのすごく濃い人達が。

杉田

オタクたちの総本山みたいな会社の交差点だ。CDショップにとって、そこまで美味しい立地なかなかないですよ。

黒田

しかも商店街だったもんだから、隣がゲーセンで、その隣がロッテリアで、向かいはラーメン屋、斜め向かいは古本屋、右側の隣は喫茶店。店で余り物もらって、ハンバーガー食って、ゲーセン行くと兄ちゃんが「遊んでけ」っつってクレジット入れてくれて。古本屋に至っては、近所だから勝手に持っていって戻せばいいって(笑)。

杉田

おおらかな時代にしてもヤバすぎる!

黒田

本当にハッピーな環境だったと思います。商店街には玩具屋もあって、ファミコンが大人気で品切れになってた頃には取り置きしてもらってたり、言ってみりゃ“ズルい技”をいっぱい使ってたなって。あそこで生活してオタクにならないワケがない。

杉田

黒田さんの世代で、子供の頃からオタクやコンテンツに触れられたってのは、本当に珍しいことでしょうね。僕も従兄弟から受け取る“上の世代の遊び”に憧れてたものですが、濃度が段違いだ。

黒田

まぁ、それも良し悪しでね。大人のオタクの方に先に踏み込んじゃったから、同年代のオタクとはほぼ付き合いがありませんでした。なんといっても、話題が合わないんです。だって、『刑事コロンボ』の話についてこれる同級生なんかいるわけないじゃないですか。もちろん、まさに当時放送されてた『機動戦士ガンダム』の話なんかはできますけど、一歩踏み込むともう話が合わなくなる。

杉田

クラスで従兄弟から教えてもらったハードやゲームの話をしても、誰も分かりませんでしたからね……。しかし、それが今のスタイルに繋がっているのは、やっぱり面白いです。

黒田

先人から受け取ってきた体験自体もそうですけど、いわゆる“業界人”と先に知り合えたのもデカかったかな。「業界ってのはこういうもの」と知ったうえで入っていったから、驚きもなんにもなかったし、いきなり出版社に連れられていっても「まぁ編集ならそういうこともあるだろう」みたいな気持ちでした。ビックリはしたけど、思考停止にはならない。むしろ感動してたくらい(笑)。

杉田

事前に情報を集めておくことで、業界独自のスタイルに驚かず、むしろ楽しく適応できてしまうと。黒田さんのクオリティで実現するのは難しそうですけど、どこにでも通じる大事な話かもしれません。

黒田

業界の経験って意味では、雑誌の仕事はクリエイティブな仕事の入口としての役割が大きかったかもしれません。たぶん、今の仕事のほとんどはそこで体験できたんじゃないかな。

杉田

ホビー誌やアニメ誌以外にも活動されていたのですか?

黒田

漫画雑誌もやったし、なんならホラー専門の雑誌でも仕事しましたよ。最初にやったのは、秋田書店系の少女漫画ホラー専門誌で『サスペリア』です。ホラー映画特集の担当の1人だったので、いろいろな会社に行ってビデオ貰って、もう死ぬほどホラー映画見せられてね。……怖いの苦手なんでもう辛くて辛くて。

杉田

うわぁ、想像するだに大変だ。いろいろな意味で。

黒田

でも、脚本としてのデビューはそこでしたからね。雑誌の巻末に4~6ページくらいのホラー小説が載ってて、そこに寄稿したんですよ。

杉田

当時はまだ脚本を書いたことが無かったんですよね。どんな経緯で載せることになったんですか?

黒田

掲載予定の原稿を読んだとき、当時まだ19歳だから素直に微妙な反応しちゃって。それを見た編集者さんが怒髪天を衝く大激怒で、「そんなこと言うならテメェ明日までに書いてこい!」と言われたんです。そうなったらもう、謝るか書くしかないじゃないですか。じゃあ、どっちもやろう。書いて謝ろうと(笑)。

杉田

ああ、ここで「謝って済ませよう」とならないのが黒田さんだなぁ。この頃からずっとそうなんだ。

黒田

持っていって「言われた通り1日で書くのは大変でした! すみません!」と言おうとしたら、その編集さんが小説を読んで「悪くねぇな」って。その勢いで次を書いてこいってんで、連載になっちゃったんです。

杉田

その編集さんもそれを言えるのがスゴい。

黒田

挿絵を『吸血姫美夕』や『戦え!!イクサー1』の垣野内成美先生に担当していただいたので、いきなり人気になっちゃったんです。漫画連載が始まって、CDドラマ作って……。その編集者さんのイタズラで女性名ペンネームにさせられてて、漫画も「お前のギャラなんか1%でいいよ」って(笑)。

杉田

きたきた、現代だとかなり危ない話!

黒田

それでも、受け取った50万が嬉しくて嬉しくて。なんたって、毎月6万8000円で生きてた若造が、いきなり50万貰ったわけですから。浮かれまくって、ずっと欲しかったPC98ってパソコンを30万円で買い、残った金で『ストリートファイターII(以下、ストII)』の基盤とコンパネを買いました(笑)。

杉田

使い道に親近感があるなぁ。確かに当時は『ストII』ブームのど真ん中でしたよね。基盤を手に入れるのも大変だったんじゃないですか?

黒田

海外版の基盤が五反田に売ってたのを知ってて、それが国内版よりちょっと安かったんです。その頃にはアニメの仕事もちょくちょくやってたので、噂が伝わっていくんですよ。「黒田が『ストII』買ったらしいぞ」と。

杉田

ああー、それはデカいなぁ。知り合いならもうなんとか理由つけて遊びに行きたくなるでしょう。

黒田

本当にいろいろな人が遊びに来てくれたの。初めて大張正己監督と出会ったのそこだもの(笑)。

杉田

想像以上にスゴい人が来た。大張さんが『ストII』やるためだけに来たんですか?

黒田

そりゃもう「どうも大張です『ストII』やらせてください」という感じでね。そこでいろいろな人と仲良くなれたのは、みんな『ストII』のおかげです。『ストII』ありがとう!

杉田

『ストII』ありがとう!

黒田

さらに調子に乗ってカプコンに連絡して、アンソロジーコミックの企画を出すことになりました。だから、『ストII』最初のアンソロを出したのは僕らだったりします。実はその中で、僕も四コマ漫画描いてますよ。あと、背表紙のCGも僕です。

杉田

ええっ!? もしかしたら持ってるかもしれない!

黒田

四コマに“Yo-ske”って書いてあるから、探せば分かると思う。

杉田

なるほど。

黒田

てな感じで「なんかやるなら面白いことをしたいって」が動き出しになることが多かったんです。せっかく『ストII』基盤買ったんだから、それを金に変えようぜみたいな。それでギャラも取り返せました(笑)。

子供の頃から試算すると、僕が業界人になるまでに漫画やプラモ等に一千万円くらい突っ込んだと思います「この金額を取り返すまでは絶対に辞めないぞ!」というのが、仕事を続けるモチベーションになってたかな。オタクならオタクとしてのやり方で(苦笑)。

AGRS発のドラマCD『真郷街』について

黒田

まず前提として、僕は作品の批判をしたくありません。35歳になったくらいの頃から、僕は『愛少女ポリアンナ物語』のように、そして『ジョジョの奇妙な冒険』のジャイロ・ツェペリのように生きようと思うようになったんです。

杉田

かなり印象の違うメンバーが並びましたが、その真意は。

黒田

ポリアンナは絶対に批判をしない、相手のよかったを探す“よかった探し”を生きる信条としている少女で、僕も可能な限りそうありたいと思っています。そして、ジャイロには「納得はすべてに優先する」という明確な生き様があります。この2つを指針にして、今を生きています。

杉田

なるほど。作品の評価においても、その2点を突き詰めて考えたいということですね。

黒田

ええ。作品の好き嫌いってのは十人十色なので、僕個人が何かを言ってもあまり意味がない。だから、それぞれの良さと、納得できる着地点を探すよう心がけています。

杉田

ありがたいです。

黒田

『真郷街』については、何より杉田くんらしさを感じられたのが良かったです。日常の中で奇怪な出来事が起こり、説明を挟みつつ着地点まで持っていくことで、尻上がりに面白くなっていく物語の構造も、しっかり捉えられています。

ここから、ドラマCD特有の技術的な面を洗練させていくと、より良くなるかもしれません。情報が声しかない媒体なので、情報を伝えるにあたっては工夫が必要です。例えば“肩をつかんで揺らす”って行動をする場合、「ガサガサッ」と音が鳴るだけでは状況が掴みにくいですよね。

そこを、「顔近いよ!」「ゆすらないで!」といったセリフで説明してあげれば、聞き手も「ああ、肩を掴んで揺らしているんだな」と理解しやすい。音だけで分かるか否かを考慮して作ったほうが、杉田くんが考えていたことをダイレクトに伝えられると思います。

杉田

おお、確かに!

黒田

それに加えて、ドラマCDには解説書がありますよね。そこにも情報を入れられるので、キャラクター紹介、あらすじに加えて、特殊なキーワードがあれば用語説明があった方が親切かな。特にドラマCDが初出の作品であれば、それだけで理解しやすさが変わるはずです。内容より商品としてのパッケージを考えちゃうのは、ちょっと違うかな(笑)。

杉田

いや、めちゃくちゃ参考になります。その部分も自分が直接関わっているので、ぜひご意見ください。具体的な内容についてはどうでしょう。

黒田

混沌と秩序という難しいテーマに踏み込んでいたので、「これが若さか!」みたいな感覚はありました。それこそ杉田くんらしさだと思いますが……。普通にやると成立させるのが難しいけれど、それを成立させる突破口が、脚本には1つだけある。それは「断定力」です!

杉田

断定力……!

黒田

「こうだ!」と言い切る力ですね。『スクライド』のカズマみたいに、一点突破で突っ切る力強さと、その考え方に対する裏付けがあれば、難しいテーマに回答を出すことができる。「どちらかを見捨てるしかない」に対して「どっちも見捨てねえっつってんだろ!」を叩きつけるためには、断定する力が必要なんです。

杉田

説得力、とはまた違うものですか?

黒田

説得力で言い換えるなら「このキャラクターなら絶対こう言うだろう」と、視聴者に確信させることかな。『真郷街』の主人公は悩みながら進んでいくキャラクターだから、何かを断定するに至るまでのシークエンスを用意しなきゃいけない。準備が必要だけど、それができないわけではないと思います。

杉田

何か、見えてきた気がします。やっぱり、黒田さんの教え方は頭にスッと入ってきますね。発想や考えを否定しないというか……。

黒田

教えるのは苦手な方だけどね。杉田くんの真面目なスタンスと、ちょっといい加減なところが合うのかも(笑)。

杉田

僕は責任感が強いわけでもないですから。まさに、おっしゃる通りの人間だと思います。

黒田

だからこそチャレンジできるし、ダメだった時に潔く撤退する柔軟性もある。もし上手く行かなくても、別の角度からチャレンジするへこたれなさが、杉田くんにはあると思う。作った直後はちょっとダメだと感じても、3ヶ月くらい置いたら「案外いい話じゃん?」って自分を褒めちゃったりとかね。

逆に志が高い人は、その理想が高ければ高いほど、理想の自分に押しつぶされてしまう。ある程度テキトーなやつの方が、ブッ叩いても次の日には直ってて、グッと食いついてくる。そうやって続けていれば、繰り返しの中で実力が付いていくと思います。

杉田

そうやって折れてしまうのは、何度も見てきた光景です。黒田さん自身も、そういった心構えが生きた場面もあったりしましたか?

黒田

僕の場合、テキトーさを続ける理由にしてるんですよ。例えば「この現場シックリ来ねえな」と思っても、1クールものだったら3ヶ月我慢すりゃ終わるじゃないですか。

いい加減で飽きっぽい人間なので、脚本家で本当に良かったと思ってます。多分、僕は同じ作品をずっと作ってたら飽きちゃう。二十年とか同じ作品を描いている人とか、本当にスゴいと思いますよ。自分でやったら、途中で泣き出して逃げたり、気が狂ったりしちゃうと思う。

杉田

自分の性質を逆手に取るわけだ。

黒田

ただし、この考え方も良いことばかりじゃありません。良いスタッフや、素敵な役者さんと仲良くできたとしても、必ず離れなきゃいけないってことですから。悪い時は終わるまで頑張る、良い時も踏ん切りを付けて離れる、というスタンスでやれるのは脚本家だからこそです。これが、僕が仕事を長く続けられている理由ですね。

杉田

なんだか、ちょっと心が軽くなった気がします。

黒田

そういえば、イベントとの連携とかはやってないのかな?

杉田

ドラマCDについては、2000年代初頭のショップ店頭イベントをイメージした販売企画をやりました。なかなか会場を見つけるのは大変でしたが……。

前提として考えていたのは、僕がかつて「良い」と思った体験を現代に再現することなので、イベントは絶対やりたかったんです。お気に入りのCDをケースに入れて持っておく体験を、2020年代の子にも味わってほしかったので。

黒田

なるほど。とすると、現場でほんの一文でもメールを貰って紹介したり、そういうことをしてあげたいですよね。濃いお客さんにとっては、役者さんの役柄だけでなくて、仲良くしてるかどうかがポイントだったりもしますから。

杉田

確かに。20年前にドラマCDがブレイクしたきっかけに、巻末フリートークってのがあったので、これも『真郷街』に取り入れています。それも、役者自体の交流を楽しむものだったのかもしれません。

黒田

フリートークは聞いたし面白かったけど、みんなすっげぇ杉田くんに気を使ってるよね。その感じが面白くはあるんだけど(笑)。

杉田

それは感じてました。なんなら僕がいない状態で好きに喋ってもらったほうがいいのかな。

黒田

いっそ、中村(悠一)くんとか呼んでCD聞かせて罵倒してもらったらいいんじゃないですか。そこに杉田智和乱入! いったいどちらが勝つのか!

杉田

確かに、僕を上から叩ける人間が入れば話は変わりそうだな……。ありがとうございます、次を作るにあたっての参考になります。



「脚本は数学で書ける」編に続く