#01
2023.10.01
アニメ監督・高松信司氏にインタビュー(1/4)「富野監督のもとで修行」編
YouTubeではなかなか言えないアレコレを、杉田智和が興味を持った人に、興味の限り聞きつくす。AGRSが贈るオリジナルインタビュー企画「AGRSが聞く」。
最初のゲストは、サンライズ(現 バンダイナムコフィルムワークス)で『勇者特急マイトガイン』をはじめとする「勇者シリーズ」や『機動新世紀ガンダムX』、そして『銀魂』の初代監督を務めたアニメ監督・高松信司さん。作り上げてきた作品と、現場仕事の両面で杉田に大きな影響を与えたであろう高松監督の歴史を、全4編にわたってお届けする。
杉田
記念すべき第1回目ということで、高松信司さんをお招きしました。今回はよろしくお願いします!
高松
はい、よろしくお願いします。
杉田
こうやってお話する機会は、ほとんどありませんでしたよね。アニメ『銀魂』の打ち上げでしたお話が、僕の中で“1対1でした会話”にカウントされるくらいのレアイベントですよ。
高松
そう言われてみれば、15年も一緒にやってたのにサシで話したことって1度もなかったかも。『新訳 紅桜篇』の舞台挨拶回りをやったときが、いちばん会話したかなぁってくらい。
杉田
そうなんですよ。昔から大好きな作品を手がけられている監督さんなのに、ぜんぜん話せていない。あの作品のことやあの作品のこと、知りたいことが山のようにあるんですよ!
そこで、自社のインタビュー企画という形をとって色々と聞いてしまおう、というのが今回の趣旨になります。
高松
ありがとうございます。しかし、声優さんが監督にインタビューって珍しい構図な気がするなぁ。
杉田
実は最近では、僕も企画や脚本といった仕事をする機会が増えてきて、その難しさを痛感しているところなんです。
アニメ制作における全要素を統括する“監督”という立場で、企画、コンテ、演出、シリーズ構成まで手がけられている高松さんであれば、その歴史に学べることが多いはずだ。……という思惑もあったりします。
高松
なるほどね(笑)。
では、言える範囲で協力させていただきます!
1983年「ヌルッと」日本サンライズに入社
即座に『装甲騎兵ボトムズ』クメン編の最前線へ
杉田
まずは、原初の部分から聞いていきたいと思います。監督はいつから、どんな理由でアニメ業界に入ったのでしょう。
高松
業界に入ったのは1983年、ファミコンが発売された年です。『装甲騎兵ボトムズ』の制作進行に配属されたのが最初ですね。
春に大学を辞めてしまいまして、映像の仕事がしたいなぁと思っていたら、なんとなくヌルッとアニメ業界に入っていました。
杉田
杉田くん、当時3歳です。『ボトムズ』はテレビ埼玉の再放送で食い入るように観てましたよ。そして「ヌルッと」って、何がどうなってそうなったんですか。
高松
具体的には『ヤッターマン』みたいな作品をやりたいと思っていて、まずタツノコプロに行ったんですよ。そこで、笹川ひろし監督(以下、笹川さん)に「アニメの仕事をしたいです」って手紙を書いてみたんですね。したら「遊びに来なさい」とお返事をいただきまして。
杉田
展開が早い。
高松
アマチュアで作っていた8mmフィルムアニメを観てもらったのですが、笹川さんからは「ウチは個人事務所を開いたばっかりで、いまは人を取ってないから誰か紹介するよ」という話になりまして。
名刺に電話番号書いてもらって、当時サンライズでプロデューサーだった長谷川徹さん(以下、長谷川さん)を訪ねていった……。という流れですね。
杉田
漫画やアニメだったら「都合が良すぎる」とかいって怒られかねない展開ですよ。
高松
そしたら「4月入社はもう取ったから、欠員があったら呼ぶ」という話になり。待つしかないもんだから待ってたら、7月ごろに日本サンライズから「面接をする」という電報が来まして。翌8月にはあれよあれよという間に『ボトムズ』班に配属されてました。
杉田
なるほど、当時は携帯電話とか無いから電報になるのか。やっぱり、笹川さんから長谷川さんへの紹介が効いたんですかね。
高松
僕も何かしら言ってくれたのかと思ってたんですけど、実際にはそんなことはなくて。現場に行ってみたら「あ、来たんだ」みたいなリアクションでした。
現在のサンライズ(現バンダイナムコフィルムワークス)は、もう四大出てないと入れないようなスゴい会社ですけどね。当時は「入れて」って言ったら入れてくれる会社だったんです(笑)。
杉田
予想以上にヌルッとしててびっくりしてます。実はすごくタイミングが良かったとか、そういう話ではないんですか?
高松
常に欠員募集をしてる現場ではあって、当時は人が足りなかったというのはありそうですね。だから、入社したその日からすでに家に帰れない!
杉田
うわぁ……。
高松
私が入った頃の『ボトムズ』はクメン編のクライマックスあたりで、ジャングルにATがジャンジャン降ってくるシーンを大量に処理しなきゃいけない状況でした。現場は始まって半年も経ってないのに疲弊していて……。と、そんな状態で業界に足を踏み入れたというわけです。
杉田
アニメの内部と制作状況がリンクしている……。最初は制作進行とのことですが、具体的にはどんな仕事をしていたんですか?
高松
進行の仕事は全部ですよ。原画さんに絵を描いてもらって、それを回収して、演出さんにチェックしてもらって、作監さん(作画監督)に修正を入れてもらって、動画にまいて、仕上げにまいて、セル画が上がってきたら背景と組んで、撮影出しをして……。という手順をずっとずっとずーっと繰り返す仕事でした。
杉田
えっ、そんなの入社してすぐにできることではないですよね。どうやって仕事を覚えたんですか?
高松
もちろん、今は入社から3ヶ月くらいは研修期間があります。いろいろなセクションを回って「アニメはこうやって作るんだよ」というのをやって、仕事を覚えていくんですね。
当時もそういう研修制度が一応あったんですけど、私は欠員募集で入ったもんだからいきなり実践でした。先輩について各セクションに行って、1回やったら次の話数からはもう1本任されてましたね。30話台のどこだったか、そのあたりからひとりで回すようになりました。
戦場を駆け抜けた先は富野式パワーレベリング
破片に残された「高松」の真実とは?
杉田
完全にビーラーゲリラとやってることが同じですが、高松監督は見事に生き延びたと。それが、後の大きな仕事に繋がるんですね。
高松
ええ、『ボトムズ』の後にも制作進行として『銀河漂流バイファム』や『機甲界ガリアン』をやっていました。大きく動いたのは、富野由悠季さん(以下、富野さん)の班に入ってからです。
杉田
お、ついに初演出をされた『機動戦士Zガンダム』ですね。どんな流れで配属されたんですか?
高松
まず、私が所属していた1スタは高橋良輔監督の班で1階にあり、2スタは富野由悠季監督の班で2階にあったんです。そして当時、サンライズにはコピー機が1スタに1台しかなくてですね。2スタのスタッフは1スタに来てコピーを取るんですが、その間に駄弁るような文化があったんです。
※1スタ、2スタ
サンライズのスタジオには「第1スタジオ」「第2スタジオ」と数字が割り振られており、「1スタ」「2スタ」はその略称にあたる。
杉田
なるほど、そこに人が集まると。
高松
そこで、『重戦機エルガイム』でデスクだった内田健二さん(以下、内田さん)が、僕が「演出やりたい」と言ってたのを覚えてくれていてですね。
『エルガイム』の設定制作をされていた方が諸事情でお辞めになるということで、内田さんが初めてプロデューサーを担当する『Zガンダム』に僕を推薦してくれたんですよ。
※内田健二氏
『機動戦士Zガンダム』をはじめとする多くの作品でプロデューサーを務め、後にサンライズ代表取締役社長に就任した。
杉田
そういうコミュニケーションから、新しい仕事が生まれることはありますよね。設定制作というと、いわゆる設定の管理や調整をする役割になるんですか?
高松
おおまかに言えばそうですが、富野班の設定制作はつまるところ「富野さん付きの制作進行」なので、ある意味で専門職です。
そこから演出として独立する人も多くて、「エルドランシリーズ」の川瀬敏文さん(以下、川瀬さん)も、2スタの設定制作から演出デビューしています。言ってみれば、設定制作は2スタ演出の登竜門的な役職だったんですね。
杉田
制作進行から、いきなり富野さん付き。しかも時期が時期となると、何がとは言いませんがヤバそうですね……。
高松
おっしゃる通り、当時はもう富野さんが一番エキセントリックだった時期で、もうすごくピリピリしてたんです。でも「高松だったら富野番をしても大丈夫だろう」ということで、内田さんからスカウトしてもらえたんです。
私に話が回ってくる時点で、すでに『Zガンダム』の企画自体は動いていて、設定も膨大な量がありましたね。
杉田
“富野番”なる概念が存在するという事実がすでに面白いですね。
高松
1年間、毎日ずっと富野さんに怒られてました。
杉田
そこから『Zガンダム』で初演出とのことですが、どうやって抜擢されたのですか?
高松
ある時、1人の演出さんが物理的にいなくなってしまって。1本、宙に浮いちゃったんです。「誰か演出はいないか」という話になって、そこで「僕がやります」と手をあげて……。それが、匿名で初演出をやった31話「ハーフムーンラブ」ですね。
杉田
その当時の具合はどうでしたか。
高松
当時の私はもう、若者特有の「やる気と自信だけはある、けど実行する能力はない」っていう状況ですから。カッティングすればカットが繋がらなくて怒られるし、音響さんにはセリフの間尺がなってないって怒られるし、富野さんにもメチャクチャに怒られるし……。もう、ケチョンケチョンでしたね。
杉田
(文字に起こせないタイプの嗚咽)
高松
TV版を再編集して新規カットを入れた劇場版があったじゃないですか。それでは割とガッツリやったところが使われてて……。いやもう、ヒヤヒヤものです(笑)。
杉田
そういう経験って思い出すのもつらいですけど、後に繋がる部分も多いですよね。具体的に、どんな指摘があったんですか?
高松
セリフ合わせをする音響さんは、私をシネコーダーの前に引っ張り出して「お前の間尺がどれくらいできてないか見せてやる!」って、そのズレっぷりを実演されました。
当時はまだデジタルじゃないので、録音した音声をシネコーダーでフィルムに合わせる必要があるんです。フィルムの形をした録音テープなんですが、それを映像と合わせて流しつつ録音しなきゃいけないんですね。
……ちなみに、後に『マイトガイン』ではじめてシリーズ監督をやったんですが、そこで音響を担当してくれたのが同じミキサーさんでした。
杉田
本当の意味での「敷居が高い」状態が発生しましたね
高松
もう恐縮しちゃって「あの時はお世話になりました」とか言うしかないじゃないですか。そしたら「えー覚えてないよ」って返されちゃって。ウソつけーと(笑)。
杉田
こっちが恐縮してることでも、向こうが意外となんとも思ってなかったとかはあるあるではありますが……。
高松
ちなみに、サンライズに話を通してくれた笹川さんも、私のことは覚えてなかったそうです。たぶん、当時はアニメをやりたい若者がたくさんいて、僕もその1人だったんでしょうね。
杉田
ケチョンケチョンに怒られて、そこで辞めてしまう人も少なくないと思います。そこで踏ん張れたのは、やはりアニメをやりたかったから?
高松
やりたかったし、当時はもう若者特有の謎の自信全開で「おれは監督になる」と思ってたので(笑)。
杉田
実際、そこから『機動戦士ガンダムΖΖ』では演出助手になりましたし、踏ん張ったかいがありましたね。
高松
それでも身分としては制作でしたが、一応は演出部門に入れてもらえたのは嬉しかったですね。そこから勉強して、いろいろな演出さんについて演助(演出助手)やったり、コンテを描かせてもらったり……。
杉田
そこで演出としての経験値を積み上げたんですね。富野さんの修正や指摘は厳しいと聞きますが、具体的にはどんな内容なんですか?
高松
内容もなにも、1本目のコンテなんか富野さんにぜーんぶ描き直されて、最後には1コマしか残ってませんでした。そうなっちゃうと「もう1コマ残すなら全部描き直せよ!」って気分になるじゃないですか。
杉田
あてつけのようにすら感じられますが、1コマ残すってところにヒントがありそうですね。そこには、どんな意味があるんでしょうか。
高松
自分でシナリオを書いて「ここはこうしよう」と考えるじゃないですか。富野さんの修正は、その意図をちゃんと汲んだ形で来るんですよ。
単に自分のやりたい形に修正するんじゃなくて「お前がやろうとしてるのは、こういうことだろ?」「それをやるなら、こうやるんだ!」というのを見せてくれる。だから納得せざるを得ない。
杉田
その振る舞いに、富野由悠季というクリエイターの世界観そのものが詰まってる感じがします。厳しいけど、それこそが貴重な時間だったんだろうなぁ。
高松
完璧に直された上で、そのコンテに筆ペンで「これが一流と二流の違いだ!」って書かれるんです。
杉田
その文言が実際に書かれてたんですか!?
高松
そうです。当時の富野さんのコンテチェックは、「田舎に帰れ」とか「お前はもう死んでいる」とか、罵詈雑言としか言いようのないことが書いてあって(笑)。
杉田
そ、想像するだけでも恐ろしい。
高松
私は設定制作だから、それを持って演出さんや作画さんと打ち合わせをしなきゃいけないんです。あんまり忍びないんで、ホワイトで消してコピーしたら富野さんに「消すな!」って怒られちゃったりしていました。
杉田
自分が直接言われるより厳しいものがありますね。設定制作を乗り越えた人が演出として大成するのも頷けるというものです。
高松
ガンダムはとにかく大変で、仕事の後半は「ようやく終わるなぁ」みたいな気分だったんですが……。終わると思ったら「映画をやるぞ」と。映画は俺には関係ないだろと思ってたら、演出補って形で呼ばれちゃって。
そこから2年くらいガンダムをやりました。『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』も大変だったなぁ。
杉田
世の中に出てる情報だと、爆発の破片に「高松」って書かれてるシーンがあるというウワサですよね。あれって、高松さんが書いたんですか?
高松
あ、あれね。Twitter(現X)で言われて気付いたんですけど、確認したら確かに書いてあるんですよね。そこでは「自分しか書かないと思うんで、私です」とは言ったものの、正確には覚えてないんですよ。
杉田
書くシチュエーションが想像できないんですが、心当たりとかあります?
高松
原画チェックを川瀬さんがやって、私は素材から撮影に出すのがメインでした。つまり、後処理係ですね。これは別の場所でも言ったんですけど、ノーマルスーツのバイザーってあるじゃないですか。
杉田
ヘルメットの透明部分ですね。
高松
あれを塗るときに、富野さんが「横向くとベタ塗りになっちゃうのがイヤなんだよね」と言ってたんです。で、私はつい「パラ切って貼ったら背景透けますよ」と言っちゃったんです。そしたら「なるほど、じゃあ高松くんやって」と(笑)。
※パラ(色セロファン)
杉田
おっと、言い出しっぺの法則が来ちゃった。
高松
で、劇場アニメだからもう貼らなきゃいけないバイザーが何千枚もあるんですよ。今ならデジタル処理でサクッと行けるんですが、当時はもうずーっと切って貼って切って貼って切って貼って……。本当にずっとやってました。
杉田
その合間に伝説の「高松」サインが書かれた可能性が。
高松
ストレス発散でやった可能性は、ありますね。……こんなこと言っていいのか分かりませんけど、一応は作業工程としてありえない話じゃないんですよ。
杉田
というと?
高松
たとえば、画面の中央にシャアがいて、髪の毛がなびいてるとするじゃないですか。するとAセル(シャア)とBセル(髪)は別々に描くので、絵としては離れてるんですよ。すると、Aセルにはハゲのシャアがいることになるじゃないですか。
杉田
(吹き出す杉田)
高松
そこにね、見えない範囲での落書きをしたりしてたわけです。ラッシュ(動画チェック)でシャアがカッコよく髪の毛をなびかせてるけど、見えない下のセルには落書きされたハゲシャアがいるんだなぁとか思ったり……。
杉田
めちゃくちゃヤバい話を聞いてるような気がしてきました。人間はストレスが溜まってくると珍行動に走るんだなぁ。
高松
爆発の破片に書いてあったのも、その延長なのかもしれません。パラ貼りまくってる中で筆が滑って、破片に書いちゃったのかな。でも、ぜんぜん具体的には覚えてないです!
杉田
でも、現場の修羅っぷりを見ると「ありえる」と思えちゃうのが怖いですね。
高松
当時は確認する手段がビデオテープしかありませんでしたし、完全なコマ送りをするのが難しかったからバレなかったんですけど。解像度が上がって、デジタルでコマ送りできるようになりましたから、ついに見つかるようになっちゃいましたね。
杉田
改めて探したら、新しい何かが見つかるんじゃないかという気がしてきました。
高松
あり得るけど勘弁してください(笑)。
「SDガンダム、勇者シリーズ」編に続く