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2023.10.01

アニメ監督・高松信司氏にインタビュー(2/4)「SDガンダム、勇者シリーズ」編

YouTubeではなかなか言えないアレコレを、杉田智和が興味を持った人に、興味の限り聞きつくす。AGRSが贈るオリジナルインタビュー企画「AGRSが聞く」。

富野由悠季監督のもとで『機動戦士Ζガンダム』『機動戦士ガンダムΖΖ』を手掛け、厳しいながらも大きな経験を得た高松さん。ついに演出として独り立ちを果たし、新たな現場で“監督”への道を歩みはじめる。

杉田

厳しい厳しい『Ζガンダム』『ΖΖガンダム』の現場を経験して、ガンダムから離れるかと思ったら……。高松さん、その『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』もやってるんですよね。

高松

内田健二さん(以下、内田さん)が人員を集めていたこともあって、その流れで関わらせてもらえました。『ポケ戦』は大変だったけど、楽しかったですね。

杉田

めっちゃ好きです、『ポケ戦』。担当したのはどの辺りでしたか?

高松

1話と3話かな。OVAはテレビと比較して制限がゆるかったので、かなりやりたいようにできました。演出としても、やっと自分のやりたいことができるようになってきた頃だったので、おぼろげながらに楽しかったような気がします。

杉田

TVシリーズとはかなり雰囲気が違いましたよね。ほかのスタッフさんもガンダム本編とはけっこう違いますし。

高松

そうなんですよ。特に監督の高山文彦さん(以下、高山さん)なんかは、本当に仙人みたいな人で、長いひげが生えてて、霞食って生きてるんじゃないかって感じなんです。

杉田

仙人!?

高松

『ポケ戦』を作ってたスタジオは、上井草の自転車屋の2階にあったんですが、演出部屋が4畳半の和室なんです。

4畳半に演出用の机を3つ入れて、作画監督さんがいたらスペースもうないじゃないですか。だから、高山さんは『ポケ戦』が始まってから終わるまで押入れに住んでました。

杉田

そ、それは集中できるからとか。何かしらの理由付けはあったりするんですか?

高松

いや、単にそういう人だったというか。帰るのが面倒くさかったんじゃないかなと思います。最初に仕事を頼みにいくときも、普通に連絡を取る手段がなくて、以前『マクロス』で一緒に仕事をした制作さんが描いた似顔絵をもとにアパートに行って、内田プロデューサーが探し出した、ってエピソードがあるくらいです。

杉田

まるでアニメに出てきそうな濃い設定の人だ……。いや、初期のアニメ制作現場スゴすぎるなぁ。

高松

おおらかな時代だったと言えばそうなのかもしれません。

杉田

そうして、演出としての経験を積んだ高松さんが『SDガンダム』で初監督を勝ち取るわけですね。ビデオ持ってましたよ。僕が子供の頃にカインズホームで買ったビデオ、まさに高松さんが監督された回でした。

高松

『SDガンダム』も同じスタジオで作ってて、けっこう面白かったです。いわゆるガンダムパロディで映画の添え物的存在なので、かなり内容が自由だったんですよ。

杉田

最初は『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』と同時上映でしたか。内容のなんでもありっぷりが本当にスゴかったんですが、あの内容はどうやって決めてたんですか?

高松

当時バンダイビジュアル(現バンダイナムコフィルムワークス)さんからビデオ作品として発注されるんですが、こちらから「どんなものを作りましょうか」と言うと「好きにやってください」って返ってくるんです。だから、アミノテツローさん(以下、アミノさん)と私がメインでやってた時期は本当になんでもアリでした(笑)。

杉田

今では絶対にありえない発注ですね。でも、自由にできるようになったクリエイターの居場所としてはメッチャクチャ楽しそうです。

高松

あるタイミングで「じゃあ、高松くんも1本やる?」と言ってもらって、それが監督デビューでした。まぁ、その間にも、オマケみたいな短いものはやってたんですけどね。

杉田

監督というより、脚本も含めてまるまる1本を受け持ったってことですね。

高松

あ、それはですね。肩書的には監督・脚本なんですけど。実際のとこ脚本は書いてないんですよ。

杉田

現場では一体なにが起こっていたんですか!?

高松

当時の『SDガンダム』の場合、口頭で「こんな話をやります」といって、みんなで集まってアイデア出しをするんです。

SDガンダムの絵を描いてた横井画伯とか、スタジオに住んでた高山さんとか。みんなであーだこーだ話して、ぶっつけでコンテ描いたんです。だから一応は脚本でクレジットされてるけど、脚本は書いてないんです(笑)。

杉田

め、めちゃくちゃだ。

高松

「こんなアニメを作ります。10分くらいです」って言ったらOKが出たくらい、当時はおおらかでした。……もちろん、アミノさんはちゃんと脚本書いてましたよ。私はぶっつけでコンテ描いて、それで形にしてましたけども。

そんな感じで、アミノさんと私で『SDガンダム』を1年くらいでものすごい本数を作ったんです。

杉田

「こんなのよく許されたな!」ってネタ、沢山ありましたよね。それも”なんでもアリ”な時代だからこそ、ということですね。

高松

『SDガンダム』は、もともとは、鳥山劣ってペンネームでやってた横井画伯が、模型情報の小冊子にイラストを載せてたのが最初だったように思います。そのうち、バンダイ主導でという話になり、少しずつ“ちゃんとした”形になっていったわけです。カードダスから始まった『騎士(ナイト)ガンダム』の頃は私的には「あー、なんでもアリの時代も終わりか」と、ちょっとしみじみしてましたね。

「勇者シリーズ」はスポンサーとの戦いの歴史
子供向け玩具は心の目で楽しむべし!

杉田

やっぱり型破りな作品を作るには、それなりの環境が必要なのかもしれませんね。『SDガンダム』の時期にはほかの仕事も色々とされていたと思いますが、その辺りの思い出はいかがですか?

高松

時系列的には次が「勇者シリーズ」なんですけど、本当のところはそれぞれの作業期間が被ってるんです。『ポケ戦』と『SDガンダム』も被ってたし、『鎧伝サムライトルーパー』や『機動警察パトレイバー』にも触れています。

小さなスタジオだったんですけど、それだけにOVAとかハミ出した企画をやるのに丁度いいスペースだったんです。おかげで、いろいろな作品や仕事に触れることができました。

杉田

なんだか、順調に成長を重ねている勇者を見てるような気分になってきました。では、いよいよ満を持して「勇者シリーズ」の登場ですね。

高松

そうですね。『勇者エクスカイザー』の谷田部勝義さん(以下、谷田部さん)から声をかけてもらったのが、企画がスタートするきっかけでした。今までのサンライズとは違って、ターゲットは幼稚園児から。子供におもちゃを売るのがメインで、範囲としては「スーパー戦隊シリーズ」と同じラインですね。小学校に上がったら卒業していくことを想定していました。まぁ、実際にはみんな卒業していかないんだけど(笑)。

杉田

面白いんだから仕方ないです。

これまでに関わってきた企画とはかなり毛色が違う作品ですが、そこに乗った理由はどういった部分があるんですか?

高松

最初に『ヤッターマン』がやりたくてアニメ業界に来た、って話したじゃないですか。『エクスカイザー』は、まさにそれに近い感じだったんです。

杉田

なるほど。むしろ、これが一番やりたかったことに近い作品だったんですね。

高松

まさにそうです。『エクスカイザー』は、ガイスターっていう宇宙海賊が“地球の宝”を奪って売り払おうとする、っていう筋書きなんですよ。敵の悪党が非常にミニマムで、それを阻止するエクスカイザーも“それを追ってきた宇宙警察”って立場なんですね。

地球の行末とか、世界の平和とかじゃなくて「悪いやつが宝物を取るのを阻止して、やっつける!」って話ですね。まさに、私はこういうのがやりたかったんです。

杉田

であれば、絶対に受けたい話ですよね。同時期にはあった仕事はどうされたんですか?

高松

当時は『パトレイバー』をやってたんですが、それは「辞めさせてください」って言ってですね。ワンクールだけ関わって、新設された『エクスカイザー』班に移動したんです。それが「勇者シリーズ」のはじまりですね。すごく、楽しくやらせてもらいました。

……出渕裕さんからは「裏切り者!」って言われましたけど、当時はTVシリーズを掛け持ちできるほどキャパシティなかったので。

杉田

それを皮切りに『勇者特急マイトガイン』『勇者警察ジェイデッカー』『黄金勇者ゴルドラン』と続いていくわけですね。

高松

ええ、初監督は『SDガンダム』なんですけど、シリーズとして監督をやるのは『マイトガイン』が最初でした。TVシリーズをやるとなると、たくさんの人をまとめていかなきゃダメですから。それはそれで、ぜんぜん違う仕事でしたね。

杉田

子供向けの作品となると、特にスポンサーとのやり取りが大変そうですよね。提出しても後から直されちゃったり、クリエイターとしての無力感を味わう瞬間はありませんでしたか?

高松

『エクスカイザー』の頃は「好き好き!」のエネルギーでやってきたんですけどね。2作目の『太陽の勇者ファイバード』は“正義対悪”の大きな話になっちゃって、さらに玩具の都合で色々と制限がかかるもんだから、谷田部さんにメッチャクチャ文句を言ってたんですよ。「俺がやりたかったのはこうじゃない!」って感じでね。

杉田

おお、やはり戦ってたんですね。

高松

で、谷田部さんから「そんなに文句言うならこっち側に来い」って言われちゃいまして。『伝説の勇者ダ・ガーン』ではチーフ演出の仕事についた、という流れになります。そこで脚本打ち合わせとか、スポンサー対応とか、合体のバンク演出とかを経験できました。

ほかにもオープニング、エンディング、アイキャッチと、いわゆる“シリーズ的なこと”をやらせてもらったんです。そこで比較的免疫がついてたので『マイトガイン』では比較的落ち着いてやれました……。と言いたいところですが、やっぱり『マイトガイン』も喧嘩ばっかしてましたね(笑)。

杉田

やっぱり、ひとつのシリーズを作り上げる上で衝突はありますよね。具体的には、どんな部分でぶつかり合いがあったんですか?

高松

まず『マイトガイン』は、キャラ表が上がってきた段階でタカラ(現タカラトミー)さんから強い拒否反応があってですね。当時の設定では舞人の年齢が高くて、設定段階では18歳くらいだったんです。それで「子供向けじゃなくて、いわゆるオタク向けのアニメに見える」「髪の毛も長くて不良みたいだ」と言われてしまって。

杉田

学校の先生みたいだ。

高松

それを受けて髪を切って、年齢を3歳くらい下げてと、本当にいろいろな部分で衝突がありました。『マイトガイン』に限らず、「勇者シリーズ」の歴史は戦いの歴史と言っていいくらい、ずっと衝突してましたよ。

杉田

やっぱり決定権を持ってるのはスポンサー側ですし、向こうは折れる理由がないですからね。でも、キチンと方向性を持っているぶん、ぶつかりがいがありそうです。

高松

こっちがやりたいことと、スポンサーさんの求めているものの齟齬ですね。いまやったら、もっと上手にできると思いますけど。初めてのシリーズ監督でしたから、どうしても「やりたい」が勝っちゃう。

なんだかんだ、いま思うとタカラさんも寛大だったなと感じます。あんなに色々言っても、最終的にはちゃんとやらせてもらえましたし。

杉田

クリエイターとしてやりたいことを押し通すために、スポンサーと正しく交渉し、商品を成立させる。多くのクリエイターにとって憧れのムーブですよ。そのロックンローラーぶり、僕も見習いたいです。

高松

まぁ、勝手にこっちで色々やってしまっていたので、全部においてキチンと交渉してたかと言うと難しいところですけどね。

杉田

おっと、ぜひその話も聞かせてください。

高松

一番大きな問題はデザイン面ですね。こっちでデザインを勝手にやると、アニメと玩具がちょっとずつ乖離していくんですよ。こっちは格好いいロボット描きたいから……。

現在でこそ、アニメと玩具はNear(近似)な感じで作られますけど、当時はそうでもなかったので。メカデザインをやってた山根理宏さん(以下、山根さん)と一緒に、出来上がった玩具を薄目で見て「似てるよ、大丈夫大丈夫」とか言ったりしてました。

杉田

でも、玩具のあの四角形っぷりをアニメにそのまま出すとなると、ちょっと違和感が出ちゃいますよね。そう考えると、玩具と足並みを揃えるのって本当に難しそうですね。

高松

「勇者シリーズ」のメカはプレイバリューの方が大事なんです。子供としては沢山遊べた方が嬉しいですからね。

プロポーションはそれなりの範囲でおさめて、パッと見でビジュアルを分かりやすくしつつ、子供が好む要素をしっかり盛り込み、さらに壊れないように調整しなければいけません。だから、画面と違うのはある意味当然なんですね。

杉田

昔のアニメ作品のグッズって似てないのが普通でしたし、そういうものだと思ってた部分もあります。

高松

それこそ、70年代アニメの玩具はもっともっと似てませんでしたからね。ソフビ人形引っ張り出してきて「これでも、心のなかではアニメのロボットと同じように動いてた。俺はそうやって遊んでたから、今の子供にもそれをやってもらおう!」なんて理屈をこねたりしてみたりしてました(笑)。

杉田

昔の子供はみんな心眼が磨かれていたんだなぁ。

「ガンダムW&X激闘」編に続く