『月英学園 -神-』
原作:杉田智和 御立弾
著:熊川秋人 執筆協力:駒尾真子

第三章

永遠の幸せ

「レディース・アンド・ジェントルマン! お集まりいただいた会場の皆々様! 大変お待たせいたしました、只今より本日の……メーンイベントが始まりますっ!!」

 数万人の観客が入っただだっ広い会場に、マイクを通した司会者の声が響くと、会場中が大歓声と共に異様なほどの熱気に包まれた。

 高く設けられた天井の中央には巨大なモニターが四方を向いて四つ設置されており、さらにより外側にもいくつものモニターが会場を見下ろすように取り付けられている。

 会場中の人々の目が、中央に設置された大きく四角いリングの上に注がれていた。その場に立つ、二人に。

「青コーナー! ここまで連戦連勝、まさに破竹の勢いで無敗のまま王者決定戦にたどり着いた驚異の新人! 体格差をものともしないパワーとスピードから繰り出される攻撃は、王者の牙城を崩すことができるのか!? シギョウウゥゥゥ……リツウゥゥゥーーーッ!!!!」

 スピーカーから轟く仰々しい声に呼ばれて、準備運動の屈伸を止め立ち上がったのは長い髪を左右で束ねた小柄な少女だ。真っ直ぐに差し込むスポットライトを浴び、沸き立つ観客へ向けて高く上げた手を振る。

 続けて……。

「赤コーナー! 挑戦者と同じく戦績は全勝、しかし恐ろしいのはそのKO率、なんと百パーセント! ほとんどの相手を一撃で葬ってきたその拳は、今宵の挑戦者をも無慈悲に沈めてしまうのか!? チャンピオン、ゴドウウウゥゥ……キョウイチルゥゥォオオウゥッ!!!!」

 再びスポットライトが対戦者を照らし出した。リーゼントにスカートという独特な風貌が目を引く、後堂恭一郎だ。両拳を胸の前で合わせると、まるで鋼鉄をぶつけたような衝撃音が響き火花が散る。その光景を目にして、対面する律は小さな体躯に見合わぬ巨大な黄金のメイスを数度振るう。

「久方ぶりだな、風紀委員長殿! まさか絶頂期の貴殿とこのような場所で拳を交わすことうになろうとは、光栄だ!」

 無邪気に笑う律を見て、恭一郎もまた嬉しそうに口角を上げるとリーゼントを下方から撫でつけて整えた。恭一郎にとっては、気合を入れるいつもの仕草だ。

「オウ、生徒会の小さいのか! 聞いたぜ、いくつかの世界じゃ会長に選ばれたこともあるんだって?」

「うむ! 遠山の真のパートナーとなるには、もっと強くならなければならんのでな!」

 あたかも愛の告白ような律の言葉に、恭一郎は声を出して笑う。

「ははっ、愛されてるなぁ~転校生。いいぜ、上等だ。だがオレ様にも慕ってくれてる奴らがいるんでな。簡単に負けるつもりはないから、そこんとこヨロシク!」

 恭一郎は拳を、律はメイスを、お互いに構えて距離を取る。

 会場に高らかなリングの音が鳴り響いた。

「シャオラアァ! いくぜぇぇッ!」

 先手を打ったのは後堂恭一郎だった。ゆうに三十メートルはあるかと思うほど高く跳躍すると、律目掛けて急降下する。そのまま全体重を乗せた右拳を打ち込んだ。

 瞬間、リングは爆散したかのように弾けて吹き飛び、轟音と共に激しい衝撃波が会場に広がる。咄嗟に目を閉じた多くの観客が再び目を開けると、そこには巨大なクレーターができあがっていた。

 己が生じさせた衝撃波に乗り今一度飛び上がった恭一郎は、改めてクレーターの真ん中に着地する。最強風紀委員長、その異名を取るに足る桁外れの実力者は、舌打ちをして後方を振り返った。

「やるなぁ。さっきのはその武器で生み出した蜃気楼か」

 恭一郎の視線の先には何もない。かと思うと、その空間がゆらりと揺らめき浮かび上がるように律が姿を現した。

「風紀委員長殿こそ、さすがの破壊力だ。まともに食らえばひとたまりもないな」

 およそ人の力とは思えない破壊力を目の当たりにしてもなお、律は口元の笑みを絶やさない。その余裕たっぷりな態度に、恭一郎は微かに目を細めた。

「まともに食らわなければ問題ないって顔だな。だったら、コイツでどうだ!」

 恭一郎が手をかざす。すると彼の足元から影が真っ直ぐに伸びて、律の影と重なった。

「なっ……しまった、動けぬ!」

 恭一郎の操影術は、自分の影を利用して他者の影を操ることができる。相手の影を捕らえれば、動きを止めることも可能だ。

「さあ、これで避けることはできねぇよな? つうわけで……派手にいくぜえぇ!!」

 未だ動けない律に向かって恭一郎が駆け出す。コンクリートの床に巨大なクレーターを作る威力の右拳を、今度こそ確実に律の腹部へと叩き込んだ。

「ぬおおぉぉぉぉっ!?」

 金属同士がぶつかり合うような音をたてて、律が後方に吹き飛ばされる。

 だがしかし――。

「馬鹿な、倒れねぇだと? そんな小せえ身体で、いったいどうやって……」

 驚愕に目を見開く恭一郎の前で、律はまだ立っていた。衝撃の余韻に長い髪をはためかせながら、彼女は顔を上げて余裕の笑みを浮かべる。

「ふははははっ、みたか! まともに食らわなければ問題ないのではない、まともに食らったとしても問題ないのだぞ!」

 律は大きく胸を張る。その腹部にはいつの間にか、さっきまで律の手にあったメイスと同じ黄金色に輝く胴当てが装着されていた。

「これぞ我の武器の真骨頂! その名を黄金幻想・ゴールデンミラージュ! 我がメイスは我の意思に従って、自在に形を変えるのだ!」

 すなわち、恭一郎の拳が命中する寸前に武器を防具に変えて、その破壊的な威力を防ぎ切ったということだ。

「この武器は我が意思そのもの! 我が意思はたとえ鉄の拳でも砕くことはできぬ! さあ、今度はこちらの番だ。受けてみよ!」

 律が姿勢を低く構えると、黄金の胴当てが再び形を変え、全身を覆う。

 恭一郎は再び髪を撫でつけてしっかり整え、真正面から律を迎え撃つべく身構えた。

「面白れぇ! その小せぇ身体にどれほどの想いがあるのか、オレ様が見極めてやる!」

「さすがは風紀委員長殿! では遠慮なく行かせてもらうぞ!」

 律の両手が地面に触れる。クラウチングスタートの構えだ。そのつぶらな瞳が標的を捉えた瞬間、律は黄金の矢の如く一直線に疾駆する。そして――。

「グハアアァァァッ!?」

 先ほどに引けを取らない激しい衝突音と共に、恭一郎は天高く舞い上がった。

 大きな弧を描いて吹き飛ばされた長身は、受け身を取ることもできずに床へと落下すると、勢いを殺しきれずに数回バウンドして転がった。

「この威力、マジかテメェ……そこまでかよ」

 自分で作ったクレーターの地面を擦るようにして、恭一郎はなんとか身を起こす。だが受けたダメージはかなりものだ。

 観客の歓声と悲鳴が、一層加熱する。

「今の一撃を正面から受けても立ち上がるその気合、お見事! さすがは風紀委員長殿だ! さあ、そろそろ我らが闘いに決着をつけましょうぞ!」

 ほぼ同じだけの衝撃を受けたはずの律の鎧には、傷一つどころかわずかな曇りさえない。輝く鎧を身に纏い、律は再び低い姿勢に構えた。

 二人の壮絶な戦いを、浩は会場最上階の一角から見下ろしていた。

 かつては共に学び、共に戦った仲間たち。もう会えないと思っていた彼らを見ていると、思わず目頭が熱くなる。だが……。

「あそこで戦ってるのは、俺が知ってる委員長と後堂先輩じゃない。二人のデータを複製して創った偽物だ」

 呟いた浩の背後で、音もなく田中と佐藤が現れる。

「だけどあいつらの元になったそのデータだって、言ってしまえば外の世界で眠ってるキョウとリツの偽物だ。今見てる二人とどう違うんだ?」

 事も無げに佐藤が言った。田中もまた、浩に向けて淡々と話す。

「第187実験都市は子供たちの脳から構築された。だが匣としての実験を進めるには10歳程度だった彼らの精神年齢を実年齢よりも大きく引き上げる必要があった。何度も、何度も、再構築を重ねてな。そうして創られた彼らのデータは、到底オリジナルとは呼べない」

 語るその言葉には、何の感情も込められていないように聞こえた。

「なあ、お前ら――」

 振り返った浩の言葉を制止するように、佐藤が眼下を指差した。

「おい、見ろよ! 決着がつきそうだぜ!」

 浩が再び試合会場に視線を落とすと、超至近距離で殴り合っている二人の均衡が崩れようとしていた。

 鎧に覆われた律の拳が、死角に潜り込んだ下方から勢いよく突き上げられる。

 その拳はまともに恭一郎の顎を捉えていた。

「がはぁッ……!! オレ様としたことが、抜かったぜ……」

 膝から崩れ落ちたのは、律よりも遥かに体格で有利な後堂恭一郎の方だった。

 一瞬意識が飛んだのか、床に手をついた恭一郎が乱れたリーゼント頭を重たげに持ち上げる。

「いいぜ……今日のところはお前の勝ちだ、執行」

 容易には立ち上がれそうにないらしい。律よりも低い位置で、それでも唇を吊り上げて笑ってみせる恭一郎を前にして、律は勝ち誇るではなく神妙な面持ちでいた。

「風紀委員長殿、我は貴殿の攻撃すべてを受け止めたわけではない。だが貴殿は、我の攻撃をすべてその身体を受け止めた。一度も避けようとはしなかった。まるで我の意思を、想いを受け止めようとしてくれるかのように」

「へっ……拳で語り合うってのは、そういうことだろ」

 そう言って、恭一郎はぎこちなく手を持ち上げ、垂れ下がってきていた髪を撫でつけた。その表情には少しの悔いもない。

 律は一度唇を引き結ぶと、それをにっと深い笑みに変えた。

「であればなおのこと、我は貴殿に勝てたとは思わぬ! 願わくば、再び相まみえんことを!」

 律の体を覆っていた鎧が、再び武器へと姿を変える。そして大地を照らす太陽のような黄金のメイスが振り下ろされ――闘いは決着となった。

 瞬間、場内のあちこちで怒声が響き渡った。

「ふざけるな、八百長だ! 賭けた金を返せ!」

「ゴドーがあんなチビに負けるはずがない! やり直しだ! もう一度戦え!」

 そうした声を聞いて初めて、あの異様なほどの熱気の正体に浩は気付いた。

 彼らは今の試合で賭けをしていたのだ。

 佐藤が一つ、乾いた息をつく。

「知ってるか、浩。ここにいる観客たち全員、外の世界に本体を持つ人間なんだぜ。そんでこの闘技場は、すべての匣の仮想世界の中で一番賑わってる場所なんだ」

「外の人間たちは日夜、匣に入れられた被検体のデータを使い、自らの欲望を満たしている」

 続く田中の言葉に、浩は歯噛みして怒声に包まれた会場から目を背けた。

「悪趣味だな。なんで俺にこんなもの見せた?」

「そう気分悪くするなよ。浩だってさっき言ってただろ。あいつらは複製の偽物だって。お前が知ってる二人とは別の存在だ」

 そうは言っても、よく知る人物と同じ姿をした彼らが賭けの道具になっているのを見て、いい気分になどなれるはずもない。浩は誰に向けたらいいのかもわからない苛立ちを覚えつつ、もう一度佐藤に問うた。

「だから、なんで俺に見せたんだ?」

「貴様にこの世界の真実を見せておこうと思ってな」

 答えたのは田中の方だった。田中は武骨な手を持ち上げて、不意に指を鳴らす。その途端、浩たちの周囲が暗黒の空間に変わった。

 次いでもう一度田中の指が鳴る。すると今度は地球を見下ろす遥か上空、成層圏の光景が周囲に広がった。

 眼下に青と緑の惑星が広がっている。現実にはこうして眺められるはずもない、青い地球の姿だ。

 思いがけない光景に目を奪われていると、ものの数秒もたたないうちに緩やかな弧を描く地球の輪郭で閃光が瞬いた。その後に、黒々とした巨大なキノコ状の雲が発生する。

 音の聞こえない遥か高みからそれを眺めながら、田中が重く口を開いた。

「始まりは、実にくだらない理由だったそうだ。ある国のトップが戦術核の使用を決断し、それが第三次世界大戦のきっかけとなった」

 同じように、もうもうと膨らむキノコ雲を見やりながら、佐藤は彼にしては珍しいほどの真剣な面持ちで言葉を繋ぐ。

「その戦争でいくつもの国が滅んで、何億もの人間が死んだ。あっという間に世界は変わっちまった」

「……だけど、確か最初に核を使ったっていうのも、人を凶暴化させるウイルスが原因だったんだろ?」

 浩は以前に阿式ルルからその話を聞かされていた。2078年に未知のウイルスが発見され、それが原因となって世界大戦が起きたと。

 田中の表情が苦く曇る。

「間違ってはいないが、核兵器の使用を決めた者がウイルスに侵されていたわけではない。ウイルスに侵された者を滅し、力を誇示するためだけに隣国を滅ぼそうとした。つまり……人類はウイルスによって致命的に減少したのではない。ウイルスを焼き尽くそうとした人間の行いによって、自ら滅亡へと大きく踏み出したのだ」

「浩もさっきの会場で見たろ。人間ってのはいつだって自分のことしか考えない。あいつらは今が楽しけりゃそれでいいんだ。自分たちの今を守るためなら、何を犠牲にしたって構わない、必要だとさえ思ってる」

「そうして自ら星を破壊し、種族を滅亡に向かわせた者たちは、現実に夢を見ることをやめた。仮想世界の中に、永遠の幸せを求めたんだ」

 だが……と、一呼吸を置いて田中が続ける。

「ここでは誰もが夢を叶えられる。外の世界で平凡に生きてきた者ですら、仮想世界で『力』を与えられた途端、誰もが狂気の姿に変貌を遂げた」

 再びパチン、と指が鳴らされ、景色が変わる。

 恭一郎と律が戦っていたあの試合会場だ。それが先ほどは違い、静まり返っている。誰もが動かず、完全に時を止めていた。浩の肩に手を置き、佐藤がため息を吐いてから笑う。

「な、どうせ人類は滅ぶんだ。自業自得さ。こんな奴らどうなったってお前には関係ないだろ? 御月のことなんか諦めて、ずっとここにいようぜ? やりたいことやって――」

 佐藤が言葉を言い終える前に、浩の放った貫き手が赤髪の少年の身体を貫いていた。一瞬遅れて佐藤の身体にノイズが走り、消滅する。

「遠山――」

 田中も同様だ。浩の名を呼ぼうとした刹那、その身体を貫かれ、やはりノイズとなって消滅した。

 佐藤も田中も消え、音一つなくなった空間で、浩はポツリと呟く。

「それでも俺は抗うよ、最後までな」

 遅れて、音が戻ってきた。静寂が瞬時に騒音に変わり、浩は思わず眉を潜める。と同時に、まるでタイミングを見計らったかのように、二人の男が浩の目の前に現れた。

 先ほどの模造品とは違う、本物の佐藤と田中だった。

「悪ぃ、浩! 何かに介入されてお前のこと見失っちまった!」

「ここは……賭け試合の会場か。遠山、我々がいない間に何があった?」

 駆け寄ってくる二人に、浩は苦笑いを浮かべながら肩をすくめる。

「別に大したことじゃないさ。まあけど……ここじゃ俺はあんまり歓迎されてないみたいだ」

 不思議そうな顔をする佐藤に、浩は息を漏らして笑った。

「何でもないから気にするな。それよりそろそろメインフレームに向かおうぜ」