『月英学園 -神-』
原作:杉田智和 御立弾
著:熊川秋人 執筆協力:駒尾真子
幕間
interlude Ⅱ-Ⅲ
匣プロジェクトのメインサーバールームは、激しい銃撃戦の真っ只中にあった。
入り口からなだれ込むように突入してきた久遠院の特殊部隊が、執行蓮に向けて攻撃を開始したのだ。
部隊はおよそ十人ほど。自動小銃を装備しており、それに対し執行蓮は拳銃で応戦するしかなく、装備の差は歴然だ。
そんな戦闘に挟まれる形になったいずみとチアキは、機材の影に身を隠し、出るに出られなくなっていた。
匣治安維持部隊である彼らは本来、そこで戦っている特殊部隊と同じく『久遠院側』だ。部隊に助力し蓮の死角をつけば、あっという間に執行蓮を制圧できるはずだ。だが――。
「隊長、部隊に合流したほうがいいんじゃないですか? 執行蓮をここで取り押さえられますよ!」
「え、ええ……でも」
チアキが急かすように言うが、いずみは歯切れ悪く考え込んでいた。さっきからずっと引っかかっているのだ。さっき見た執行蓮の表情、その眼差しが。
エイリのカプセルを見下ろしていた彼は、ひどく冷静だった。そこには破滅を望む狂気も、荒れ狂う復讐心も見られなかった。あれが人類を滅亡に追いやろうとしている男の目だろうか。
とはいえ、彼が匣を停止させようとしていることは間違いない。
(執行蓮……あなたはいったい、何をしようとしているの……?)
機材への被害を最小限に抑えるためか、銃弾こそ飛び交っているものの部隊が突入してくる気配はない。ならば。
いずみは意を決し、チアキを振り返った。
「私がカプセルを開けるから、チアキくんはフォローお願い!」
「カプセルを開けるって……まさか、ロックを強制解除するつもりですか!?」
チアキは驚きの声をあげ、エイリのカプセルへ目を向けた。流れ弾がいくつか命中しているはずだが、特殊な合金で作られたカプセルは傷ひとつついていない。
困惑しているチアキの横顔へ、いずみは大きく頷いてみせる。
「この子を安全な場所へ移すのよ! 何が正しいのかは、その後見極める!」
「でもそれは、絶対やっちゃいけない重罪の一つ……いえ、わかりました! やりましょうっ!」
狼狽えていたチアキの表情が、再びいずみを振り向いた瞬間に引き締まった。他ならぬいずみの決意だ。チアキにはそれ以上に優先するべきことなどない。
すぐに傍らにあった機材に拳銃を向けると、チアキはパーツの接合部を狙って数発銃弾を撃ち込む。そして歪んだフレーム部分を取り外した。
「隊長、この戦いが終わったらお伝えしたいことがあります。……ああ、このくだりを持ち出したからといって心配はいりません、迫り来る脅威はフラグごと僕が払いのけますから」
取り外した金属フレームを盾のように構えて、チアキは凛々しくいずみへ頷く。
まるで芝居でも見ているかのような大袈裟な表情と語調に、いずみは思わずたじろいだ。だが今はそんな場合ではない。
「かえってものすごくフラグっぽいけど……分かったわ、じゃあいくわよ!」
三つ数えていずみが機材の陰から飛び出すと、チアキもまた、フレームを抱えて駆け出した。構えた金属の板に次々と銃弾がぶつかり、甲高い音を立てて跳弾する。
自動小銃の銃弾が降り注ぐ室内を駆け抜け、なんとかエイリのカプセルの前まで辿り着くと、いずみは携帯端末からケーブルを引きずり出してカプセルにつなぐ。
「チアキくん!」
「はい、隊長!」
「ロックを解除するから、一分持ち堪えて!」
銃撃戦のさなかの一分はかなりの長時間だ。けれど今のチアキに迷いも恐れもない。
「一分ですね、わかりました!」
すぐ後ろで、金属パーツの盾で持って銃弾を防ぐ騒々しい物音を聞きながら、いずみは携帯端末の操作に集中する。キーボードを高速で叩きながら、それでも言わずにはいられなかった言葉が口をついて出た。
「死なないでね」
ただ一言だったけれど、それはチアキにとって世界で最も優しく、勇気を与える言葉だった。
「こんなところで死ねませんよ。だって僕にはまだ、大好きな兼城いずみ隊長と結ばれるっていう最終ミッションが残ってるんですから」
そう言うチアキの口元には、本人も気づかぬうちに笑みが浮かんでいた。
一方のいずみはわずかに眉を持ち上げて目を見開く。軽々しく冗談を言うなと切り捨てていい言葉のようには聞こえなかったのだ。それでも携帯端末からは目を離さずに、一拍の後、笑みを含んだ吐息を漏らした。
「戦いが終わってから言うんじゃなかったの?」
さっき言っていたことは、それだろう。あたりをつけてからかってみせると、チアキから照れたような気の抜けた笑い声が返ってきた。
だからいずみも彼にならい、冗談とも本気ともつかない声で返した。
「生きて帰れたら、考えてあげてもいいわ」
いつもならすぐにチアキの喜ぶ声が返ってくるはずだった。僅か二秒の沈黙。その空白にいずみが異変を感じた瞬間、視界の隅でチアキがゆっくりと倒れる姿が見えた。
「チアキくんっ!!」
思わず振り返って声を荒らげた。
バランスを崩して床に膝をつくチアキの胸に、二つほどの小さな穴が開いていたのが見えた。
いずみの表情が大きくゆがむ。
チアキが倒れ、満身創痍の盾が彼めがけて倒れ込んでくる。それを体を割り込ませてどうにか防ぐと、金属パーツの影に二人の身を収めていずみはチアキに触れた。
「しっかりして、チアキくん!」
「隊長……お、お願いが……最後に、僕のこと葵って呼んでくれませんか? こっちが名前なんですよ、僕……」
力なく震える声で言いながら、チアキはいつもの様子で笑う。
「バカ! こんな時までチアキくんは……死なないで、葵くん」
名前なんていくらでも呼んでやる。そんな思いで、いずみは音一つ一つをはっきりと彼に伝える。
床に転がったままのチアキが人懐っこく口元を緩める。
「わぁ……やったぁ、嬉しいです。嬉しいついでに、隊長……僕と結婚してください……」
「け、結婚……⁉」
「ああ、なんか、力が抜けてきた。先輩……早く、聞かせてください。もうよく声も……」
「ああもう、わかったわよ! 結婚でもなんでもするから……だからお願い、死な――」
瞬間、チアキの目が大きく見開かれた。勢いよく上半身を起こし、さっきまでの笑みをかなぐり捨ててむしろ鬼気迫る真剣さで拳をきつく握る。
「マジで!? やったあぁぁぁーーーっ!!!!」
飛び起きたチアキは、片手で金属フレームを手に取り、それを片方の手で支えたまま素早く上着を脱いでいく。そして中に着こんでいた分厚いものを外すと、いずみへと手渡した。
「はい、これ。指輪の代わりの防弾チョッキです。ちゃちゃっと片付けて、帰って式を挙げましょう! ね、いずみ!」
「~~~~~っ」
いずみが声にならない声をあげる。言ってやりたいことしてやりたいことが山ほどあったが、現状の最優先事項を思い出し、再びキーボードを叩き始めた。そのタッチにはいささかの憤りが込められていた。
ものの一分もせずに、いずみは必要なコードを全て打ち終わり、最後に強くエンターキーを叩く。同時に電子音が小さくなり、圧縮空気が抜ける音と共にカプセルが開いた。
『パスワード確認、ロック解除』
カプセルの小型モニターに表示された文字を見て、いずみとチアキは顔を見合わせた。
「さすが隊長! さあ、この子は僕が担ぎます。あとはさっさとこの場から――」
喜ぶチアキの視線が、何かに気付いたように上へと、いずみの肩口へと移される。
この場でそこにあるものと言えば、察しはついた。いずみはゆっくりと振り返る。案の定、そこには拳銃と刀を手にした執行蓮が立っていた。
銃弾が命中したのか、腹部には血が滲んでいる。その目は虚ろで、出血のせいで意識が朦朧としているようだった。
そこへ、騒がしい足音が室内になだれ込んでくる。久遠院の部隊が、サーバールームに本格的に突入してきたのだ。
自動小銃を構えた十名の兵士が、あっという間にいずみたち三人を取り囲む。
「ちょっ、何で僕たちまで……あの、僕たちはシステム諜報部で、匣治安維持部隊の……」
「動くな、武器を置け!」
チアキが前に出ようとすると同時に、兵士の数人が銃口をチアキに突きつける。
しかしいずみにとって更に意外だったのは、執行蓮の行動だった。まるで自分やチアキ、そしてエイリを守るかのように、彼は一歩前へ出る。
(やっぱり……)
その姿に、いずみは確信した。匣の開発者にして、匣を止めんと動いた裏切者、執行蓮。彼は決して、暗い衝動に荒れ狂う殺戮者などではない。
隊長らしき男が銃口を執行蓮に向けた。
「上からの命令だ。執行蓮、メインフレームへのアクセス権を解放しろ。貴様が鍵をかけたことは既にわかっている。これは重罪だ」
しかし命の危険に晒されてもなお、執行蓮は動じることなく目を細める。
「……匣は人類の希望だ。欲に駆られた奴らの好きなようにはさせない」
「そうか。だったらそこの2人には死んでもらう。貴様とそのガキ以外は不要と言われているからな」
執行蓮に向けられていた銃口が、一斉にいずみとチアキに向けられた。
そして、兵士たちがトリガーにかけた指を微かに動かした、その時だった。
「なッ……!?」
兵士のひとりが突然空中に持ち上げられ、驚愕の声をあげた。
「うわあぁぁぁっ、は、離せぇぇっ!」
ひとり、またひとりと、兵士たちが空中に持ち上げられていく。彼らの身体には、サーバールームのあちこちから伸びたケーブルが巻き付いていた。まるでケーブルに意思があるかのように、束になったそれらは次々と兵士の身体に巻き付き、彼らを空中に持ち上げ身動きを封じていく。
「これは……いったい、何が起きているの……?」
驚き困惑するいずみの隣で、執行蓮が兵士たちを見上げ、呟いた。
「そうか、やったか……御月英理」
「御月英理さん? まさか……!」
いずみとチアキは蓮への警戒も忘れ、同じように上を見上げる。
すると、おかしなことが起こり始めた。
束になったケーブルのいくつかが光を発し、何もなかったはずの空中に巨大なホログラムディスプレイを出現させたのだ。
それだけではない。部屋中のあらゆる電子機器のモニターが点灯した。モニターには、同じ映像が映し出されている。
否、このサーバールームにいる者には知る由もないが、この場所だけではなかった。
世界中に存在するあらゆる電子機器にも。
電子機器の存在するあらゆる建物の天井にも。
あらゆる地域の空にも、同様の映像が映し出されていた。
まるで学校のような大きな建物の、屋上の光景だった。
そこに、ひとりの少年と、ひとりの少女が立っていた。
今この瞬間。ふたりの少年少女の姿を、全世界の人間が見守ることとなった。
「やっぱり来たのね、遠山浩先輩」
「ああ、来たぜ。御月英理」