『月英学園 -神-』
原作:杉田智和 御立弾
著:熊川秋人 執筆協力:駒尾真子
幕間
interludeⅡ-Ⅱ
幾重にも設けられたセキュリティゲートと長い廊下を通った先に、匣プロジェクトのメインサーバールームはある。コード入力と網膜チェックを終えると、いずみとチアキの目の前で扉が音もなくスライドした。
ここに来るまでの廊下もそうだったが、内部は小さなランプが照明の代わりに灯っているだけでひどく暗い。
様々な計器が埋め込まれた壁が、リアルタイムですべてのサーバーの稼働状況を表示する。本来なら絶えず数値が変動し、ステータスを示すランプなどが光っているのだが、今はそれがない。執行蓮によって匣がシャットダウンされようとしているためだった。すでにサーバーは稼働していない。今は夢から醒める前のまどろみのような余韻が、ごくわずかな仮想世界を構築している。
サーバールームの中には無数のカプセルのようなものがあった。大きさは約、人ひとり分。ここは匣プロジェクトのためのメインサーバールームだ。設置されているのは、当然、匣を動かすための子供たちだった。
誰も彼も眠っているだけのように見えるが、匣が停止するまでは、その脳はワクチンを作るために絶えず仮想世界を構成し続け、絶えずウイルスに見立てた敵と戦い続ける。
いずみとチアキはその横を通り過ぎて、部屋の奥にあるエリアへと向かう。
そこにはひとつだけ、他とは明らかに違う扱いで厳重に保管されているカプセルがあった。表面には中に入っている子供の名前が記されていた。
『EIRI』。
いずみから緊張を抜くため息が漏れた。カプセルには傷一つついておらず、中で眠る少女にも特別変わった様子はない。
「よかった、ここにいてくれて……」
我欲や権力を保持するために、抗体を確立させたエイリを勝手に手中に収めようという動きもあると聞いている。彼らよりも速く動きだせたのは幸運だった。
すぐに移動させようと、カプセルの制御装置に手を伸ばした時だ。
「隊長……!」
チアキが潜めた声で警告するのと同時に、メインサーバールームを足早に進む足音が聞こえた。
いずみはチアキと共に咄嗟に身を隠す。軽率な行動でエイリを余計な危険に晒すわけにはいかない。
相手の動向を知るべく様子を窺っていると、足音は迷いなく真っ直ぐこちらに歩み進め、そしてエイリの眠るカプセルの前で止まった。
薄明かりに浮かび上がる足音の主に、いずみとチアキは同時に息を吞む。
そこにいたのは、引き締まった体躯と怜悧な顔立ちの男、執行蓮だった。
眉間に深くしわを刻み、蓮は苦々しげに、あるいは忌々し気にカプセルを見下ろす。その手は鞘に納められたままの刀が握られていた。
「……平和とは、いったい何だ?」
低く蓮が呟く声が聞こえた。
彼が何を問うているのかは、説明されずともいずみにもチアキにも察しがついた。
なにせここは、メインサーバールームだ。すぐそこには自由も未来も意志も奪われて、ただ人類の希望を一方的に背負わされて、眠り続ける子供たちがいる。その子供たちに尽きぬ悪夢を見せることで、自分たちはどうにか希望を手に入れようとしている。だというのに、その犠牲をも踏み荒らして仮初の幸福を自分だけは手に入れようと足掻く。
この先に、平和が。安寧が。希望があると言えるのだろうか。
「これが地上を支配する知的生命体のなれのはてか……いっそのこと、別の生命体にでも明け渡せればいいのにな」
淡々とした呟きは、ひどく深い落胆と重い悔恨を感じさせる。冷ややかな視線をカプセルに注いだまま、蓮は手にした刀を静かに抜き放った。
「やめなさい!!」
その刀をどうするつもりなのか、確認する余裕はない。いずみは物陰から飛び出すと、蓮の刀とエイリのカプセルの間に割って入った。両腕を広げて立ちはだかるいずみと、怪訝そうに表情を動かす蓮の視線がぶつかり合う。
「どけ。どかなければ……」
「武器を捨てろ!」
蓮の言葉を遮って警告したのはチアキだ。銃を抜いて蓮に狙いを定めている。
それを見て、いずみは改めて蓮に向き直った。
「どういうつもり? 匣を止めただけに留まらず、エイリを殺す理由は何⁉」
「………何だと?」
憤りを滲ませたいずみの言葉に、蓮が不愉快そうに眉をひそめた。
空気が張り詰める。その緊迫した空間を、突如としておびただしい銃声が遮った。